富をもたらす魚、フーヌイユ

沖縄島北部最北端にほど近い、国頭村宜名真(ぎなま)。
ここには、“土地の気候風土が食文化を形づくる”ということを表す「フーヌイユ」という海の恵みがあります。

宜名真の集落の目の前には東シナ海と太平洋に面した天然の漁礁が広がり、
冬でも温暖な海水に恵まれ、黒潮に乗って来遊する魚たちの通り道になっています。

ミーニシ(新北風)とよぶ季節風とともに、宜名真の海にやってくるのが今回お伝えする「フーヌイユ」。
フーヌイユとは、この色や形が特徴的なシイラのことで、沖縄のほかの地域では、マンビカーとも呼びます。

フーヌイユを漢字で書くと、富の魚。フー(富)をもたらすイユ(魚)という意味があります。
目の前に広がる広大な海が人々にもたらす、豊かな自然の恵み。
宜名真では、昔から特別な存在で大切にされてきたことがその呼び名から伝わります。

昔々、南洋から伝わった伝統漁法「パヤオ漁」

記録によっては300年前から続くとされているパヤオ漁という方法で、宜名真ではフーヌイユ漁を営んできました。
代々、宜名真でウミンチュをしている方にその歴史を尋ねてみると、

300年つづくっていうのは、本当にはっきりとしたことはわからないのだけど、
僕がきいた話では、南洋に、ほれ、自分のおじいちゃんおばあちゃんたちは若い時に移住していっているさ。
そこでパヤオづくりっていうのを習ってきて、その知識を持って山原に引き揚げてきたときに伝わったらしい。

昔は竹を組んで、今みたいなロープはなかったから、クバの皮の繊維をとって編んだ紐でアンカーとつないで釣っていた。
流されては、作り直してね。現代的になったのは、50年前くらいかな。そうやって長いこと漁をやっていたんだ。

パヤオ漁とは、沖合にいかだ状の浮き漁礁(パヤオ)を設置して、
浮きに発生する藻に集まる小魚を狙って、そこに集まる回遊魚の習性を利用した漁法です。
宜名真ではもともと竹を組んで、目印の旗を立ててパヤオを作っていましたが、
現在は担い手の高齢化により、竹を取るために険しい山に入ることができず、大きな発泡スチロールで代用しています。

フーヌイユの時期は、夜明け前から漁が始まり、
複数の漁船がパヤオの周りをゆっくりと順繰りに回っている光景が見れます。

宜名真の気候風土だから、フーヌイユがある

そして、宜名真では昔からフーヌイユを天日干しして、保存食として食べられてきました。
ちなみに、宜名真では魚のことも「フーヌイユ」、天日干ししたフーヌイユも「フーヌイユ」と呼ぶとのこと。
今回はわかりやすく天日干ししたフーヌイユは「フーヌイユの天日干し」と書くことにします。

水揚げされたフーヌイユは、鮮度を保つためにすぐに手際よくさばかれ、保存性を高めるためにしっかりと塩をすりこみ、このように天日干しをします。
北風の吹き具合や湿度の条件が揃えば、2日間でフーヌイユの天日干しが完成!

フーヌイユ(の天日干し)は、スーコー(法事)や祝い事の行事の時に食べるもの。
普段は、ほとんど食べないよ。脂がのっていて、塩加減が上等。

いまは2日間で天日干しして冷凍保存しているけれど、自分たちが子どものときは5日間くらい干してカチンカチンにして保存していた。
冷蔵庫もないし。これは、食糧が不十分な時の保存食なんです。塩漬けして、半年から一年は保存しておける、生活の知恵だね。

けれども、これだけ長く宜名真に続いてきたフーヌイユの天日干しという食文化は、
ほかの地域でも試してもうまく出来上がらなかったり、おいしく仕上がらないのだそう。

その理由について、ウミンチュの経験からどう考えているのかを教えてもらいました。
まずは、集落のすぐ背後にそびえ立つ高い山の地形によって、海風が回ること。
そして、漁場が近くにあることで、鮮度を保ってすぐに加工できること。

食糧がいまのように十分ではなかった頃、群れをなして落ち着きなく回遊する習性のフーヌイユに出会えたら、
「フーがある!」と喜んで、その恵みに感謝していたといいます。

半農半漁で生活を営んできた宜名真では、その気候風土を生かした知恵を持って、
今でもこうしてフーヌイユの天日干しという食文化が育まれ、続いているのです。

集落総出で盛り上げる!「フーヌイユ祭り」

宜名真では、2014年から漁港が会場となり、フーヌイユを味わう「フーヌイユ祭り」を毎年11月ごろに開催しています。
フーヌイユ祭りをはじめるきっかけになった経緯について、当時の区長さんにお話を伺いました。

これは、地域の活性化のため。地域の行事がアブシバレー(悪虫払い)しかなかったので、何かできないかなと漁業組合や村に相談した。
そしたら、スムーズに進んでいって、スタートしたのが2014年のこと。
フーヌイユの食事や祭りの下準備も全部、みんなの協力なくてできるものではないよ。
10月になると朝からずっと、日が暮れるまで。みんな、港に塩漬けだよ(笑)

でも、このフーヌイユ祭りのときは、ここに2000名も集まるんだ!活気にあふれてすごいよ~。
みんなフーヌイユを買い求めて、売り切れてしまうんだ。

また、祭りをきっかけに、それまではフーヌイユの天日干しは各家庭で作っていたり、ウミンチュが釣って売っていたものを、
漁業組合が中心となって宜名真区が一手に引き受けることになったよう。
そこには、担い手の高齢化が進み、フーヌイユの天日干しの作り方や文化が途絶えてしまうかもしれないという危機感がありました。
フーヌイユの解体はウミンチュから、塩漬けや天日干しの方法はおばぁやお母さんたちから、集落として守り継いでいくために教わって、今に至っています。

今年は残念ながら、新型コロナの影響で祭りは中止となってしまいましたが、
フーヌイユの天日干しは、宜名真の漁港や共同売店、または個人の注文を受けて販売して、すべて売り切れとなったそう!

売り切れなんて、わぁすごい!と思った矢先…

…だけど、ものすごく魚が少なくなって。
自分がやり始めたときは年間で200~300kgは釣れていたのに、いまはもう全然。
海水温なのか、海流なのか、やっぱり気候変動の影響があるんだと思う。フーヌイユに限った話でない。
食べたいといっている人がいるのに、釣れないっていうのは、本当に悩んでいる。

ここの気候風土だから、フーヌイユがある。
つまり、この気候風土が変わってしまったら。

自然の恵みを享受する一方で、私たちの生活行動が自然環境に与える影響がここ宜名真にも現れていました。
宜名真の方々の思いにふれるほど、食文化を成り立たせる根幹は一体何なのかと考えされられます。

渡り鳥がやってくるころ、沖縄の長い夏が終わりを迎えて風向きが変わるころ、
そんな季節の移り変わりのなかで、このフーヌイユの風景はさまざま気候風土の条件が揃って成り立つ、秋の風物詩。

集落の目の前に広がる、フーをもたらす海。
風を受け止め、そびえ立つのは茅打ちバンタと山々。

その間で人々は暮らしを営み、自然と関わり合いながら、
今年もまたフーヌイユがやってくることを心待ちにしています。

 

出演/宜名真の漁師さん
撮影/山田沙紀・村田尚史・澤井万七美
企画/山田沙紀(名護博物館)
編集・制作/山田沙紀・屋嘉比悠希
参考/「沖縄県国頭村宜名真区編 士族の開拓魂が生んだ名所と海の幸豊かな集落」,2016年3月,
平成27年度集落連携沖縄田舎資源活用地域創生事業,ユナムンダグマ協議会・特定非営利活動法人国頭ツーリズム協会

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