沖縄伝統の血の料理、チーイリチャー

チーイリチャーは”血”のイリチー(炒め物)のことです。

沖縄では「豚は泣き声以外は食べられる」といいますが、血液も大事な食材として使われてきました。
正月料理であり、かつては法事にもよく使われた料理で、肉が貴重だったことから特別な時に食べられるご馳走だったようです。

チーイリチャーの材料は人それぞれですが、
・豚の血
・豚三枚肉
・大根
・人参
・ニラ、葱、またはニンニクの葉
あたりが使われることが多いようです。味噌、醤油、塩で味付けします。

見た目はちょっとびっくりしますが、豚の血独特の旨味があってとても美味しいです。
医食同源「似類補類」の思想から、チーイリチャーは貧血の時に食べるとよいとされています。

宜野座村、仲間商店の絶品チーイリチャーのつくり方

昭和35年から宜野座村で続く名物商店

宜野村の老舗商店、仲間商店さんでチーイリチャーの作り方を撮影させていただきました。

たくさんの種類のお弁当やお惣菜を作り出す調理場。チーイリチャーもほぼ毎日お総菜コーナーに並ぶ人気商品です。

仲間商店では、野菜に大根と人参、キャベツを入れています。まずは、食べやすい大きさにカット。

「昔は何もないものだから、豚をつぶして(屠殺すること)集まった何名かで炊いたりするわけさ。(日常的に食べることが)今はもうこれが普通になった」

豚肉は、首肉と赤身の肉の二種類を使います。これらは前日の内に下茹でをし、灰汁を抜いておくことで脂っこくなく食べられるようにしています。

首の肉を水と鍋に入れ、少ししたら大根も入れて煮込みます。秘伝の調味料(味噌が隠し味!)を入れて混ぜていきます。

そして、遂に血が登場。血の塊を泡立て器で潰し、滑らかにしていきます。
血が少ないと薄くなったり味がぶれてしまうので、血と肉の分量が大事だそうです。

残りの肉と人参を鍋に投入します。このままコトコトするまで煮込みます。

血を入れたら、一時間じっくり煮込みます。血は焦げやすいので、しっかり混ぜ続ける必要があります。

バットに取り分けて冷まします。常であれば今回の倍の量で、150~160食分作るとのこと。

最後に、この鍋で炒めたキャベツを混ぜます。

「肉だけ炊くんじゃなくて大根とか人参、キャベツなんかの野菜も入れるので、あっさりしていて食べやすいと思いますよ」

これで、チーイリチャーの完成です。

仲間商店絶品のチーイリチャー。

ニンニクが効いていて、食欲をそそる香りをしています。食べてみると、想像するような臭みは一切なく、非常に食べやすい。本当に美味しい料理です。
食べた後は血の力か、元気が漲ってくるので、疲れている時にもオススメ。

宜野座村にお立ち寄りの際は、是非ご賞味ください。

仲間商店
〒904-1303 沖縄県国頭郡宜野座村惣慶1190
https://www.nakama-shouten.com/

もっと深くチーイリチャーについて知ろう

仲間商店で取材した後は、さらにチーイリチャーについて詳しいお話を聞くために、やんばるの生き字引とも言える島袋正敏(せいびん)先生のところへ。

蔵には数え切れないほどの泡盛が並ぶ

『黙々100年塾蔓草庵』主宰、元名護博物館館長、名護市立中央図書館長。山原島酒之会会長を設立した『泡盛仙人』でもある正敏先生。

正敏先生曰く、「豚を食べるところで血を使わない地域は、イスラム圏以外ではない」そう。沖縄で豚の血が調理に使われたのは自然な流れであり、逆に日本が特殊なのだと目から鱗でした。

さらに沖縄では、医食同源(いしょくどうげん)の思想から、”血が足りないときは血で補う”ために積極的に薬として用いられました。
医食同源とは、日頃からバランスの取れた美味しい食事をとること病気を予防し、治療しようとする考え方で、中国の薬食同源思想を基に日本で造られた言葉です。
「てんかん発作の薬として、豚の生血を飲んだという話が北部地域には各地にあります」

「昔の人は、栄養学的に何が含まれているかは分からないけれど、血は薬として使っていたんですよ」

沖縄では旧暦の正月前、12月28日に豚を屠殺しますが、一般的にその日はチーイリチャーを作りませんでした。
まずは豚のクビジリー(首肉)を切り取り、ウシームンという豚汁料理を作るのです。

ウシームン(豚汁)
正月の二、三日前に豚を屠ると、先ずクビジリー(首肉)を切り取り、豚の血、大根を大切りにしたもの、デークニガンサー(大鍋に芋を煮るときに、その上に大根に付いた葉をすべて置き蒸し煮にして柔らくしたもの)を切って入れる豚汁料理である。
新鮮な豚肉と血と野菜を入れたウシームンは、一年中で一番マチカンティーした大御馳走であった。

(中略)

ソーグヮチウヮー(正月豚)を経験した世代の方々はお分かりいただけると思うが、あの豚汁料理が消えてしまったのはこのうえなく残念なことである。

引用元:島袋正敏(2013年)『沖縄の豚と山羊ー生活の中からー』株式会社おきなわ文庫

チーイリチャーはその後、正月の元旦に作られます。そして、豚の初七日まで、七日間毎日食べるのだそうです。
当時冷蔵庫はありませんでしたが、血を採るときに塩を混ぜておくことで一週間は保存が可能でした。家庭では毎日チーイリチャーを作り、仏壇にお供えをしてから家族で食べました。

かつては、どの家庭でも作っていたというチーイリチャーの作り方をお聞きします。

材料は新鮮な豚の血と肉。野菜は、大根、人参、キャベツの他に、旬のニンニクの葉を入れます。今は粗びきのニンニクを入れることが多いですが、昔は球根部分は入れなかったそうです。
大根を入れるのは嵩増しの意味合いが大きい、と話す正敏先生。子供が多く大家族だった時代、大根を入れないと皆のお腹を満たせなかったんですね。

肉は今は首肉を使いますが、昔は肩の上の方の脂肪の厚いところ、前肉の白身のあるところを使いました。

映像は、仲間家のチーイリチャー作りの様子です。
お祖母さんが作るチーイリチャー、とっても美味しそう!仲間家のチーイリチャーには中身(豚のモツ)が入っています。各家庭の味があるのもいいですね。

肉が煮えた頃に、野菜を全部入れます。野菜から出た水分があるので、水は少し。あまり汁っぽくしないのが伝統的なスタイル。

血は手で、血の塊が残る程度に潰します。
「あまり攪拌して細かくしすぎない。血の塊があるというのが、チーイリチャーなんです」

昔は血の量は今より多くありませんでした。元旦から七日間もたせるため、小分けして使ったからです。それでも、血と肉の旨味と脂が野菜に染みて、とっても美味しいのだそうです。

血を入れて、味噌を溶かします。そして、ゆっくりと攪拌していきます。

味付けは塩を使いますが、この時使う肉は既に保存のために塩漬けにされていたので、あまり入れなくて大丈夫だったそうです。

粗びきのニンニクを入れる場合は、煮すぎないように最後の方で入れるのがオススメ。昔はお酒は入れませんでしたが、今は風味付けのために泡盛を入れて……これで完成です。

そして、話は沖縄の食文化において重要な位置を占める豚のお話に。

かつて、沖縄では各家庭で豚を肥育していました。

「すべての家で、豚を養わない家はない。どんなに貧乏人でも一頭くらいは養っている」
1950年代までは、と正敏先生は言います。1960年代後半くらいから百頭、二百頭というように飼育頭数が増え、一般農家は精肉店から豚肉をお金で買って食べるという風に変わっていったのだそうです。

昔は旧正月に豚を潰した後、正月が明けたらすぐに新しい子豚を買い入れました。一年間手塩に掛けて育て、またお正月にその命をいただくのです。それ以外の豚は換金用として飼育し、時期になったら売られました。

その中で、家庭が貧しい人々はお金のある農家に子豚を無料で提供してもらって育てることもありました。正月に成長した豚の半分は提供者に戻され、半分は養った手間賃としてそのまま分け与えられました。これもユイマール、助け合いなのだと正敏先生は語ります。豚を手に入れれば、家族で新年を迎えることができる。それほど、沖縄の正月において豚は欠かせない存在だったのです。

実は、宜野座村や近隣の市町村で豚の撮影をしようと豚を飼っているお家を探したのですが、見つからず…。昔はほぼ全ての家庭で豚を肥育していたそうですが、現在は本当に限られた場所にしかいないようです。
映像では名護博物館で収蔵しているアグーの記録写真もお借りして、使わせていただきました。

かつては与那国島から奄美まで、琉球国全土で食べられていたというチーイリチャー。北部地域では今でもよく食べられますが、南部ではあまり見かけなくなってしまいました。正敏先生は、貨幣経済になったことと、豚を自分たちで飼育することが無くなり、チーイリチャーを作る機会が無くなったことが理由に挙げられると言います。南部でも販売しているお店はありますが、若い世代ではチーイリチャーそのものを知らないという方も増えています。

「食堂で食べてもいいけど、やっぱり家庭で作って食べるものが本来のチーイリチャーなんですね」
精肉店で冷凍された血と肉は揃うし、野菜には事欠かない。ちょっと作り方さえわかれば難しい料理ではない、と優しく微笑む正敏先生。

「あの伝統的なチーイリチャーと、チーイリチャーの美味しさを是非、次の世代に伝えたいですね」

美味しくて、クスイムン(薬食)であり、ハレの日の料理である、チーイリチャー。
正敏先生の仰るように、この沖縄の伝統的な家庭料理を是非、未来に繋いでいきたいものです。

正敏先生、貴重なお話をありがとうございました。
そして、仲間家の皆様、ご家族の大切な日常を撮影させていただき、ありがとうございました。

出演/仲間商店、島袋正敏、仲間家の皆様
資料提供/名護博物館
撮影/仲間勇太
編集・企画・制作/佐久間恵美

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